代償

代償

何かを得ようとする時、必ず何かを失っている。

人生はプラスマイナスであるから。
時間は有限であるから。

自分が何を差し出しているのか?
その代償を払ってまで、得たいものであるのか?

それを理解していないと、
人生は自分の思い描く物語とは違うものになってしまう。



知人が、最近、片目の光をほぼ失った。
熱に侵されて。
彼は、賢いので、今までは見えすぎていたし、
他に能力があるからこれくらいで丁度よいと。

つまり、今までの片目を失った代わりに、
これから何か新しい経験を得ようとしているのかも。


今日、キングコングの西野さんがブログで、嘘は環境がつかせるもので、
感情は環境に支配されることを「社会人として」で書かれていた。
https://lineblog.me/nishino/

私は、嘘が嫌いというかできないので、
自分の意思をすぐに表明してしまう。

もちろん、周りからは
 “めんどくさい” と思われる。疎まれる。
そういう風に生きていない人からすると
トラブルメイカーのように見えているのでしょう。
で、
あなたといると疲れるっと。
少しは我慢しなさいっと。
私もしているのだからっと。

私は決して、喧嘩好きなわけでもないし、
相手を攻撃したいわけでもない。
もっというと、大好きであり、信用しているから嘘をつかない。
私の心を預けていた。

私は、限られた生命の時間を、できるだけ嘘の感情で過ごしたくないだけ。
これは皆に与えられた権利だし。
嘘の感情で生きているとそういう顔立ちになるからこれだけは避けたい。
でもその嘘をつかなくていい環境、人を見つけるのは難しい。
相手もそうでないと成り立たない場合が多いから。

で、昨日は最悪な状況になってしまった。

信用していて心を見せていた人が嘘だった。
“めんどくさい”疲れるからごめんと。
今まで、切磋琢磨しながら、意見を出し合い、感情をぶつけて、
本音でクリエイティブなことを世の中に出すためにやってきた。
それを、“めんどくさい”で片づけられた。

だとすれば、最初から信頼を築かず、心を開かなくてよかったではないか?
人が、正直に心を開くと、必ず代償がある。
代償があるから生まれるものがある。
それを避けて通るのであれば、大した繋がりはできない。

一生、そんな生き方をしていくのだろうか。

環境が人を変える。人の感情を支配する。

情けなくったって、かっこ悪くたって、
人と嘘偽りなく関わり、ぶつかって、また絆が深まる。

古いかなぁ。。。

人が生み出す全てのものは、人の想いあってこそだと思うけど。
斬新なアイディアも革新的なシステムも、
そこに熱量があり、信頼できる人たちが集まって創ったものだから
世に残っていくと。


私は、今、人の関わりに信頼のない環境の中で
大きな代償を払おうとしているのだろうか。

そこまでして、必要ものがあるのか。。。
少し、整理してみようと思います。

あなたも、嘘偽りのない人生を。


では、また💙


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