幾度

幾度

何にでも、タイミングがある。

その時に合うこと、それは偶然。

偶然?

でも、リズムを合わせて心地よく踊るように、
そんなふうに楽しんでいる人間がいるとしたら?

すべては必然だと私は思う。
すべては自らが引き寄せている。

過酷な運命が訪れようとそれは無意識でも
自らが選択している。

さっき選択したかもしれないし、
生まれるもっと前、前の人生の時かもしれない。

そうやって思うと、では自らのリズムをコントロールしたくなる。
もちろん、潜在意識で選ぶものもあるので、
であれば潜在意識ごと良き方へ流したいと思う。


いたってシンプルな発想。


だから私は、諦めが悪い。
「運が悪かったねー」
とか
「タイミング違ったね」
とか
「たまたまダメだったんだよ」
とか・・・。

言わないし言われたくない。
そういうの含めて私の身と心が創りだした世界だから。

だから、
「運がいいね」
「タイミングがよかったね」
「たまたま良かったんだよ」
となるまでやる。
そうなるようなことをやる。

わからない人間はわからなくていい。
自分の中でそれらを呼んでいるから。
偶然なんてない。






小学生の時に車に轢かれたことがあるのだけど、
なぜか無傷で済んでる。

でも、その時の感覚は今でも鮮明に覚えてる。
「お父さんお母さんおばあちゃんおじいちゃん、
     みんなごめんなさい!!」
 
って声も出ず、頭の中で叫んで飛んでた。



私は、この時、偶然にも生かされた。
でもこれを偶然にしてしまうと人でない気がする。
私を生かしたことで、轢いた運転手の人生に影響を与えなかった。
これは何を意味するか?
私自身が生きていることだけが重要なのではなく、
自分が状態よく生きることで他人を生かすことが起こり得る。

つまり、打ちどころ悪く一瞬で死んでも、後遺症が残っても(あるかもw)
不思議でなかったが、生かされた。

私の中に残ったのは、

“人生終わるときにごめんなさいで終わりにしてはダメだ。”
“みんなって誰?私の人生は私のものでもなく誰のものでもないのでは…”





で、たいそう茨のスリリングな道を選ぶようにしていますw

ダンスって、熱くなって、
例えば、トウ・シューズに血が滲みながら踊ってる時ほど楽しいものです。


何でもいいのだと思うのです。
どうせ生まれて死ぬだけで、
人間なんて地球に善いことなんて微塵もできてないのだから。

ただ死ぬまで生かされているから人生の終い方が、
「私で生きてきてよかった」ってなれば。

たいしたことは創造できない人間が、
生かされていた、に見合う創造をしようとすれば。

結論として、能力の低い人間である私は、
リズムを合わせて、何度も何度もステップを踏み踊れるまで踊り続ける。

それだけです。


あなたはどうですか?


では、また💙

コメント