情動

情動

感情を抱くと同時?
ううん、それよりも前に身体は向かう。

emotionとfeelingは別なのかも。

悲しいから涙がでるのではない、涙が出るから悲しい。

脳科学者でありながら身体の進化を重視し感情研究と向き合った
ダマシオ説を私は支持している。




脳  人は、思考により決定する。
心  人は、感情を抱き判断をする。
身体 人は、五感で感じ反応する。

それはそうなのだけれども。

もっともっと人間の欲求と活動に直結するもの。
それが情動では?

例えば、
身体が硬くなり脈が速くなり、身体のコントロールができなくなる。
鳩尾はかたく、背部はピンと張りつめ、肚は停止する。

この時、“恐れ” が情動として作用している。
その状態を脳や身体で認識し、恐れの感情を抱く。

同じように、
好きだと感じる前に
心拍が速まり熱くなる、息が荒くなり身体が反応する。
ホルモンが分泌され皮膚は軟化し体臭と体液が変化する。

この時、“喜び” が情動として作用している。
その状態を脳や身体で認識し、喜び・愛情の感情を抱く。


で、なぜここまでこの説を支持するかといえば、
自分がそうだからなので💦

私は、恐いとか悲しいとか、
愛とか恋とか昔からよくわからないw
だって、どう考えてもそういう感情である時には
そう思うことが都合がよい、もしくは経験的見地からその感情を保つことがよしとする。と自分で決定しているとしか考えられないから。
だから、その決定を0ゼロに戻す時には。
なんにもなくなってしまうw

ただし、情動は非常に正直であり素直な身体の反応を伴う。
まだ、自分としてはそれが喜びなのか何なのかわからない。
にも関わらず、反応と決定をしている。
そのあとに、理性と感情をもとに決定を修正する。

これが、紛れもないコントロールしがたい人間の性だと思うのです。

では、大脳に直結するこの情動だけで生きればよいのであるが、
進化の過程で、その生命維持機能を快・不快の本質的な感情を持つことにより
ホメオタシスをより効率的に機能させる。

こう理解することのほうが、様々な脳科学的な論理や心理学的論理よりもっともっと理に適っていると思う。



で、ここまで、理解した上で
自己と世界を繋ぐ。

そうすると見えるものが変わる。

自己に緩みが出るのです。

ビジネスや数字、結果と感情や身体の感覚は切り離すと非効率であり、
もっと言うと、ただ単に
心理的感情や身体的ヘルスケアは現代の人間が抱く苦悩を理解する上では浅いのです。

ここに気づく。

自己と他者、世界。

この客観視をする中で情動を生命活動においてどうコントロールするか、
あるいは解き放ちコントロールできない状態を喜び憂い悲しみ楽しもう。


AIに感情をインプットする。
でも、ロボットに果たして情動がセットできるだろうか?
脳だけ、身体だけ、繋ぎ合わせる。


情動ある自然動物である。
心ある人間である。


哲学や美意識は世の中を生かします。
創造しましょう。
その前にお話しましょう。

あなたの情動による感情が美しいので。


では、また💙















コメント