不自然

不自然

― 不自然に対する嫌悪感。―

あぁ、救われた。目が熱くなり零れる。
全身の力が抜け、私の指先がピリピリする。


11月4日公開。
Ryuichi Sakamoto
『CODA』を観ました。

何か月かぶりに今日一日は、時にまかせました。
ガーデンプレイスをふらふらと歩いてたら看板を見つけ、
ちょうど開演10分前で、迷わずチケットを。
必然です。



人の記憶の風化、環境への順応、それらは恐ろしい。

何かがおかしい・・・

そう抱きながら、醜く朽ちるまで気づかない。

自然体を繕い、人工美をあたかも究極美であると押し付ける感覚が嫌いです。
人間如きが敬うことを忘れ、生死への恐れにより自分中心に世界を捻じ曲げる、
おぞましいほど醜い。




私は、
6歳の時に人類の進化、
7歳の時に原子力、環境問題について研究をしました。
その当時は原子力発電のシェアは数パーセントだった。

自分が成長し、環境問題が叫ばれるころにはこの国は原子力発電に依存していた。


・・・なぜ?・・・

あの、小学生の自分にも愚かなことであることは理解できた。

・・・なぜ?・・・

それからほどなく日本が嫌いに。
この国は馬鹿だと。斜めから見るように。
でも、嫌いになりきれなかった。

あの、3.11。
あの時、政治関係者と親密であったので、
おぞましい状態の情報を耳に・・・。

それから、この国は何か変わったのか?

・・・何にも。・・・

ヒロシマから何か変わったのか?

臆病になっただけでは?

私はいわゆる環境問題に興味はないです。
自然の、地球の心配など人間如きがしたって極論、意味をなさない。

本当に地球が苦しい状況になれば、
地震をあちこちで起こしたり、
例えば、人間が生きられないほどの温度にすることもできる。
氷河期終わり、マンモス絶滅と一緒ですよ。

そういう風に私は、自分にできることなどこれっぽっちもないと考えているし、
世界や地球、宇宙は人間如きがどうこうではないほど偉大に思っている。

環境問題などというものは人間のエゴでしかない。
自分たちが“生きやすい環境問題”ですよね。

ただ、
ただ、
ただ、不自然に対して激しい嫌悪感がする。
耐え難い臭いは、人間から生み出される。

自らや人工物がどうすれば、調和し、生かされるか?
その概念の下、美しい創造をする。

これしか、こんなことぐらいしか感謝を示し、
生死に対する恐れから放たれる方法はないはず。

なぜ?

どうせ何にもない。
どうせ不自然な存在なのだったら。

心だけは不自然を嫌い、
自然に溶け込む永遠を創造しようと努力し、
歴史から学び、素直に正直に哺乳類らしく生きれば。


美とは?
なぜ、醜さを認めず、生きている?
知性がないのではない。

色が白い黒い、
目が大きい小さい、
鼻が高い低い、
顔が小さい大きい、
スタイルがいい悪い、
しわがあるしみがある、
美人不美人、
かわいいブス、
イケメン不細工、
若い老けてる、
日本人外国人、
男女、
・・・。

どうでもいい。



幼い頃。
火葬場によく行かねばならなかったけど、
骨に灰になってしまえば成分は一緒だし。
人類の祖先はアフリカ人であるし。

それよりも気になるのは、
不自然な身体と顔と心。
不自然な匂いと音と感じ。

美しい花も、至近距離でみると気持ちが悪い。

皆、自意識過剰でないだろうか?
そもそも生き物なんて気持ち悪い。
入口があって出口がある。
周辺の大気を吸い込み吐き出す。
無駄なことをただただ死ぬまで繰り返す。

何か地球のためになっている?
そもそも生まれた瞬間から生き物はたまたま、ただ生かされているだけ。


どう思いますか?
何とも思いませんか?


私はセッションで余計なことはしません。
ソレガコタエ。

でも、私も醜いので遠慮しすぎていました。
もう、その方の意志も汲みません。
ただただ不自然の嫌悪感を解消する方へ。

あなたの
身体と顔と、心。
その違和感、不自然を調律するのみです。

理解してくださる方、お会いしましょう。話しましょう。

ただの人間として調和しながらも
自己を存在させ、生きていく美を。


ではまた💙






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